シューマンの歌曲から... |
◆Rose Obelisk @ Jindai Botanical Park, Chofu 5 Jan.'14
この一曲。今宵の一曲。
明日は今年初の音楽会で、クリスティアン・ゲルハーヘルの歌うシューマンの歌曲を聴きに行く。何気なくこの曲が今宵の気分に引っかかった。(これは演奏予定なし)
先日行った植物園のバラ園はまだ剪定されていない。
春に向けてもう少し、というところだろう。
◆Robert Schumann (1810-56), Meine Rose (Op. 90-2)
Baritone: Hermann Prey Piano: Karl Engel
Meine Rose
Robert Schumann Op.90-2 (Text: N.Lenau)
Dem holden Lenzgeschmeide,
der Rose,meiner Freude,
die schön gebeugt und blasser
vom heissen Strahl der Sonnen,
reich' ich den Becher Wasser
aus dunklem,tiefen Bronnen,
Du Rose meines Herzens !
vom stillen Strahle des Schmerzens
bist du gebeugt und blasser;
ich möchte dir zu Füssen,
wie dieser Blume Wasser
still meiner Seele giessen!
Könnt' ich dann auch nicht sehen
dich freudig auferstehen!
私のばら
やさしい春のかざり、ばらよ、私の喜びよ
するどい陽射しにすっかりうな垂れて色あせてしまったばらよ
おまえに、暗く深い泉より汲み取った一杯の水をそそぐ
私の心のばらよ
心の痛みの静かな光線によって
お前は身をかがめ、そして蒼ざめている
この花の水のように
お前の足もとにひれ伏して、静かに私の魂を満たしたい
そうすると
お前がよろこびに充ちて
ふたたびよみがえるのを見ることが出来るのだ
(井谷俊二訳)*井谷さんのサイトからお借りしました
レーナウの詩による 《 6つの詩 》 の第2曲。
シューマン夫妻が6年近く滞在したドレスデンを去る直前の1850年の2月に作曲されたもので、奇しくもそのレーナウの訃報が届いた日にシューマンの家で開かれたドレスデンの友人たちとの別れの会で初めて演奏されたシューマン40歳の作品。
最後の一節、ドイツ語と対訳を読んでいたのですが
私の微かなドイツ語力では言葉の思いをどう汲んでよいのか、
わかりませんでした。
普通に、よみがえることへの希望。
それとも叶わぬけれど憧れのようなものか。
この声はまだ素直に希望を歌っている、かな。
もうバラのオベリスクは、懐かしい友達の気さえします。
そうですか、もう少ししたら一度短く剪定するのですね。
今は冬の冷気を想いにかえて身に貯めているようです。
負けず、さぼらず、春を待っている^^
コンサート、お二人で楽しい晩になりますように。
こんにちは。歌、楽しんで頂けたようで何よりです。
三十代であろうプライの優しさ溢れる歌唱ですね。
私もドイツ語は解りませんが、詩から読みとったものをプライが表現してくれているなら、希望を持っているように聴こえてきます。(^^
薔薇の剪定に関しては素人ですが、ある時期が来たらほぼ丸裸状態まできれいに刈られてしまいます。それこそ枝のみになりますが、それがあって五月には美しい春バラを見ることができるのです。
その頃ご一緒してみませんか?(^^
春を楽しみにいたします。
↑ぜひお楽しみに!
昨夜のコンサートのアンコールは、何とシューマンの作品90から「レクイエム」でした。作品90は「私のバラ」を含む六曲ですが、後日に第七曲として追加されています。
偶然とは言え、、、驚きました。
明日は第二夜、続けてシューマンの歌曲に浸ります。