マリア・ジョアン・ピリス ピアノリサイタル |
■ピリス(ピアノ)とパヴェル・ゴムジャコフ(チェロ)
5月2日の土曜日、久しぶりにピリス(ピレシュ)のピアノを聴きに出かけた。
(以前にヴァイオリンのデュメイとチェリストのワンとの共演を聴いている。)
日本ではかなりの人気のピアニストだし、ご本人も親日家と聞いている。
日本で演奏会のある時期にはマンションを借り、自炊しながら過ごすとか。
非常に小柄で化粧っ気のない女性ピアニストだが、その音楽性は非常に高いと思う。
さて、紀尾井ホールでのリサイタルであるが、予定のプログラムは早々に変更になった。
奏者の強い要望によるとあるが・・・。
紀尾井の室内楽vol.15
マリア・ジョアン・ピリス ピアノ・リサイタル ~ 心で綾なすベートーヴェン ~
2009年5月2日(土) 15:00開演予定
出演:マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)
パヴェル・ゴムツィアコフ(チェロ)
当初予定のプログラムは、、、
曲目: ベートーヴェン:チェロとピアノのためのソナタ 第4番
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第30番
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第31番
ベートーヴェン:チェロとピアノのためのソナタ 第5番
曲目変更のお知らせ
2009年5月2日(土)15時開演の「<紀尾井の室内楽 vol. 15>マリア・ジョアン・ピリス ピアノ・リサイタル」につきまして、マリア・ジョアン・ピリスの強い意向により、プログラムを以下のとおり変更させていただきます。全面的な変更となっておりますが、何とぞ、ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
【オール・ベートーヴェン・プログラム】
ベートーヴェン:チェロとピアノのためのソナタ第2番ト短調op.5-2
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番ニ短調op.31-2「テンペスト」
ベートーヴェン:創作主題による32の変奏曲ハ短調WoO.80
ベートーヴェン:チェロとピアノのためのソナタ第3番イ長調op.69
当日、またまた順番が変わった。
前半は、
1.ベートーヴェン:チェロとピアノのためのソナタ第2番ト短調op.5-2
2.ベートーヴェン:創作主題による32の変奏曲ハ短調WoO.80
休憩後は、
3.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番ニ短調op.31-2「テンペスト」
4.ベートーヴェン:チェロとピアノのためのソナタ第3番イ長調op.69
感想としては、、、考えに考えてのこのプログラムにしたのだと納得できた。
当初はソナタの30番、31番が是非とも聴きたいと思っていたのだが、それも払拭された。
■Maria João Pires
色々な演奏会に出かけているが、こんなに静かなる興奮を覚える演奏会も稀だ。
一曲目のチェロとピアノのソナタ第2番。グレイッシュな衣装で登場したお二人。
チェロのゴムツィアコフ(覚えにくい名前だが)の表情はもう作品の中へ入っているかのよう。
ピリスが何かしら話しかけるが、首を横に振る。
一音目にして、一気に音楽の中へ引っ張り込まれた。(この時点で既に感涙状態)
この二人は一体何者なのだろうか?
深い音楽の世界へとあっという間に導かれた。
この2番のト短調は馴染みが薄いのだが(何度も聴いているのだが)、聴いているうちにこの二人の演奏はピアノとチェロを使っているけれども、それを超えた芸術と言うか、、、うまく言えないが、芸術も超えて、精神世界の表現であり、非常に哲学的なもののように感じた。
彼らは音楽家ではあるが、既にピアニストもチェリストも超えてしまっていると。
誰にも似ていない彼ら自身がそこにいた。なんと素晴らしいことだろうか。
二曲目、ピリスのピアノのヴァリエーションは、もはや晩年のピアノソナタに匹敵するものだと思った。ベートーベンの中期の傑作。36歳の作品。
何と精神性の高い作品だろう。そしてそれを音にするピリスの音楽性の高さ。
見事なまでの音楽芸術が表されたと思う。
もうこの二曲を聴けただけで十分なほどであった。
休憩になり、相棒とともに会場の外へ一旦出る。
ボクは一言も話が出来ない状態。
何か言葉を発すると嗚咽し、涙が止まらなくなりそうだった。
相棒も同様の様子。大きな溜め息を漏らしてお互いに顔を見合わせる。(苦笑)
ピリスの凄さを改めて思い知る。ピアニストを超えた哲学者のようだ。
それにしても親子ほどの年の差のあるこの二人はいったい???
開場で配られたプログラム・ノートに、大阪音大の理事長である中村孝義氏が「ピリス=至福のメッセージの伝道者」と題して綴られていたのだが、まさにボクの思っているピリス像と重なる部分が多々あった。
その中でピリスがあるとき毎日新聞のインタビューに答えて言っている話を抜粋させていただく。
彼女の表現に対する考え方がよく分かる話であるし、非常に共感出来る部分なので。
『私は、自分の表現の中からエゴイズムを取り除きたいんです。自分を良く見せたいというのはだれもが持つ人間的欲求ですが、そういう自分と可能な限り闘って、抜け出したい。私の究極の望みは、何も表現しないで表現すること。例えば、友達と会話するのは、話をしたい欲求があるからする訳ですが、おそらくふたりの最良の関係は、会話をしなくても良い状態にあることでしょう。そういうコミュニケーションを私は作曲家との間に持ちたいのです。それは難しいけれども、自分を無に近づければできると思います。そしてそういうことができるようになれば、だれとでも、つまりどの作曲家とも、自分の表現欲を出さずに、コミュニケーションを持てるはずです』
休憩後、ピリスの「テンペスト」、それに続き「チェロソナタの第三番」
大曲が続く。
非常に落着いて聴くことができたように思う。
聴いていて思ったことは、ベートーヴェンの作品の凄さだ。
非常に実験的で革新的な音楽を構築していることがよく分かる。
形式的には過去に回帰するように変奏曲を作ったりしているのに、音楽それ自体は回帰どころか前衛的ですらある。彼の中後期の傑作をみていくと、そこには現代音楽を思わせる前衛的な音楽世界が広がっているのだ。
耳の不自由さゆえにあのような音を描いたという人もいるかもしれないが、彼の頭の中では時代がぶっ飛んでいたのかもしれない。ぶっ飛んでいても、その作品の芸術性は非常に質の高いものだ。
内省的で精神性の高いモノを目指す作曲家の志の高さを十分に感じることができる。
四曲のプログラムを弾き終わって、お二人の表情が少し和らいだ。
聴衆と音楽の喜びを分かち合える幸せは奏者にしか分からないだろう。
非常に地味ながら、質の高い演奏であった。
彼らの選んだアンコールは、、、
バッハ「パストラル」そして、カザルス「鳥の歌」
何とも憎い選曲だと思う。(アンコールを聴けば奏者の音楽性がよく分かる。)
これを聴いてもし何も感じない人がいたとすれば、何を聴きに来たというのだろうか?
素晴らしい演奏会だった。かなり興奮した。
しばらく頭を冷やさなければ、帰路にもつけない感じであった。
紀尾井ホールの脇の土手に上がってしばし風に吹かれていた。
こんな演奏を聴くことの出来た幸せは言葉にすることさえもどかしい。
アンコールでの有名な「鳥の歌」を。カザルスご本人の演奏です。
感動されたご様子が伝わってきました。
ピリスのインタビューもとても興味深く読ませていただきました。
こんばんは。
あまりの感動に思わず、、、その節は失礼しました。(^^;
ピリスはボクにとってはピアニストを超えてしまいました。
音楽家さえ超えてしまいそうなくらい圧倒されました。
見た目は小柄なオバさんなのに、この方、ただ者ではありません。
まるでベートーヴェンが語っているかのような時間でした。
例えが変ですが、まるでピリスがイタコのようにさえ思えました。
そのくらい素晴らしくベートーヴェンの音楽が立ち上って迫ってくるようだったのです。
忘れられない音楽会になりました。