アレクサンダー・マッジャー ピアノ・リサイタル(追記1付き) |
♪アレクサンダー・マッジャー ピアノ・リサイタル
2009年6月25日(木)午後7時 於:紀尾井ホール
ドビュッシー:12のエチュード
リゲティ:ピアノのためのエチュード
第一集より 第五曲「虹」
第二集より
ショパン:12のエチュード Op.25
何だか久しぶりの音楽会という気がする。
大好きなピアノのリサイタル。
初めて聴くマッジャーに期待が膨らむ。
彼のピアノを聴いてみようと言ったのは相棒。(笑)
インスピレーションは大当たり。
地味ながら非常に個性のある非凡なるピアニストであった。
大好きなドビュッシーのエチュードは生で初めて聴くことができた。
あー、脳が幸せで満たされる感覚。(笑)
至福の時間を過ごせた。
生の演奏には叶わないけれど、ラベルの作品から一曲、、、
マッジャーとはこんなピアノの表現をする人なのだ。
*カメラが入っていたので、いづれTVなどで放映されるかも知れません。
最前列にいたので写っている可能性大。(笑)
これだけ見事にエチュードだけを取り上げるリサイタルもないだろう。
よほどの自信がなければこんなプログラムを組めるわけがない。
ピアノのエチュードとは、日本語では「練習曲」なわけだが、作品としても
非常に質の高いものも多いし、馴染みの深いものも多々ある。
マッジャーのこだわりはプログラムからして伺い知ることが出来る。
とは書いたけれど、先ずはリゲティからスタート。
こんなモダンな曲、それもエチュードを演奏会で披露するピアニストも少ないだろう。
確かに美しい。その美しさを見出せなければ、カッ飛んでいるとしか言えないかも。
リサイタルの第一曲目は、リゲティーのエチュード第一集の第五曲「虹」。
何とも脳を(理性?)をくすぐる音々。
静的でありながら、音に色合いや艶、煌めきが感じられ、その上、温度まで存在するよう。
ライナーノートによると、ジャズ界の偉大なピアニストを敬愛するリゲティが、
ジャズ・ピースに近い技法で綴った作品とある。
マッジャーの演奏ではないが、こんな感じ・・・
■Giuseppe Andaloro - Ligeti: Étude Nr. 5 "Arc-en-ciel"
さて、どんな感想を持たれただろうか?
リゲティー(1923〜2006)はハンガリー出身の作曲家。
現代音楽と言える作品の数々。聴いたことのない音にイメージが膨らむ、、、。(^^;
さて、次はお待ちかね、ボクの大好きなドビュッシーのエチュード。
1915年の作品で、音程、音階、装飾音、反復、和音などにドビュッシーの斬新性と創造性が盛り込まれた晩年の力作とされているもの。
以前のエントリーでも度々登場しているが、なかなか気に入ったCDに出会えない。
今のところのボクのベストは内田光子だが、、、。
マッジャーの演奏は非常に落着いていて、詩情豊かなドビュッシーであった。
一曲一曲慈しむようであり、音のコントラストや音の消え方に至るまでコントロールして表現したい、という感じを受け取れた。
ちなみに、ホールでの座席はまたまたかぶりつき、奏者の右斜め下から見える位置。
右手左手の動きからクロスするタイミング、ペダルの踏み方まで全て見えるベストポジション。
上に、「音の消え方、、、」と書いたが、マッジャーのペダリングはかなり個性的。
音を意図的に響かせない、というか、次の音々と音が重なることを極力避けようとしているように感じた。それが、今回の音楽作りには合致し、成功していると思った。
ご存知かもしれないが、ドビュッシーのエチュードは全12曲。
非常に面白いので、ここでちょっとご紹介したいと思う。
1 5本の指のために(チェルニー氏による) "Pour les cinq doigts, d'apres M.Czerny"
2 3度音程のために "Pour les tierces"
3 4度音程のために "Pour les quartes"
4 6度音程のために "Pour les sixtes"
5 8度音程のために "Pour les octaves"
6 8本の指のために "Pour les huit doigts"
7 半音階のために "Pour les degres chromatiques"
8 装飾音のために "Pour les agrements"
9 反復する音符のために "Pour les notes repetees"
10 対比的な響きのために "Pour les sonorites opposees"
11 組み合わされたアルペッジョのために "Pour les arpeges composes"
12 和音のために "Pour les accords"
解説にはこんな風に書かれている。
1915年、これまで健康の不調と第一次大戦への苦悩などからしばらく作曲ができていなかったドビュッシーだが、ショパンの楽譜を校訂する仕事をきっかけに、創作力をとりもどした。ここで作曲されたのが《12の練習曲》であり、これはショパンに献呈されている。
この練習曲では、ただ技巧を追求するための作品として作曲されているわけではない。彼はこの作品を通じて、彼自身の音楽性のあり方を再検討したのであろう。
練習曲でありながら、運指法が指示されていないことも特徴の一つであるが、ドビュッシーはこれを意図的におこなっている。つまり、演奏者の腕や手の構造には違いがあるため、各人に合った運指法を各自で追求していくこともまた、課題の一つになっているのである。
第一曲 5本の指のために(チェルニー氏による)は、チュエルニーを揶揄するようなスタート。子供だって弾けそう〜などと思っていたら、、、(^^;
第五曲 オクターブのために の指と手の動きをよく見ると凄い。ミスタッチの確率も非常に高くなることは間違いない、、、。
↓一曲目はこんな感じではじまるのです。
■Debussy - Etudes No.1&5 - Pierre-Laurent Aimard
そして、第十二曲に至ってはそれこそミスタッチ率50%以上?の凄い作品。(^^;
「和音のための」とあるが、左手は左へ(低音へ)、右手は右へ(高音へ)と動き、←@-@→
目が右と左とを同時に見なければ正確なキーへ到達不可能だろう。
最終曲に相応しい終わりも見事な曲。
*残念ながら最終曲で掲げたいYouTubeが見当たらない。
指と手の動きが見え、緊張感のある演奏でないとハートに響かず、全然面白くないので。(^^ゞ
ボクはフランス人作曲家の近現代のピアノ作品、、、ドビュッシー、ラベルなどは大好きだ。
ドイツの音楽はもちろん好きなのだが、フランスの音の色や艶を感じる作品にとても惹かれる。
理由はよく分からないのだが、、、創造力に溢れていて、何と言っても楽しいのだ。(^^
さあて、前半が終わって、かなり脳みそを使った感じ。(笑)
音楽に浸っての心地よい疲労感というのは何にも代え難い幸福だ。
ちょっとクールダウンして後半を楽しみにしよう。
つづく。<(_ _;)>
ラベルも好きですが、フォーレはもっと好きです。
って、まるで子どもの文章ですね。w
たぶん、「バッハ命」だった私が、
200年の時の流れをドビュッシーに感じるから、
とか、自己分析してみたこともありますが、
いまだによくわかりません。
こんにちは。コメント有難うございます。(^_^)v
ドビュッシーって現代音楽の父ですから、バッハの流れは当然引き
継がれているはずです、きっと。(笑)
フォーレと言えば、いい曲がいっぱいありますね。
仏モノは独とは全く違っているからこそ面白いですね。
「バッハ命」・・・ボクには憧れです。(^^;
追記2 頑張らねば、、、